レイ・フロンティア株式会社のデータアナリストの齋藤です。
前回の記事の続きを書いていきます。
確率積分
Brown運動\( (B_t(\omega) )_{t \geq 0}\)と関数\( f : \mathbb{R} \to \mathbb{R}\)について、積分\(\int_0^t f(B_s(\omega) )\, dB_s(\omega) \)を定義することを考えます。Brown運動の全変動は確率1で無限大なので、積分\(\int_0^t f(B_s(\omega) )\, dB_s(\omega) \)を通常のStieltjes積分として捉えることはできません。たとえば、$$\int_0^1 B_s\, dB_s$$をRiemann-Stieltjes積分の類似物として定義することを試みてみましょう。区間\([0,1]\)を\(n\)等分し、分点を\(t_k = k/n ,\ k = 0,1,\dots ,n\)とおき、Riemann和$$S^{(n)} := \sum_{k = 1}^n B_{s_k} (B_{t_k} - B_{t_{k-1}}) ,\ s_k \in [t_{k-1}, t_k]$$を考えます。Stieltjes積分では\(s_k \in [t_{k-1}, t_k]\)をどのようにとっても\(S^{(n)}\)は\(n \to \infty\)で同じ値に収束します。しかし、左側の点をとり\(s_k = t_{k-1}\)とした和を\(\underline{S}^{(n)}\)、右側の点をとり\(s_k = t_k\)とした和を\(\overline{S}^{(n)}\)とおけば、$$\begin{align} \overline{S}^{(n)} - \underline{S}^{(n)} &= \sum_{k =1}^n (B_{t_k} - B_{t_{k-1}})^2 \\ & \to 1 \qquad \text{ in } L^2 \qquad(\because 命題4の証明より)\end{align}$$となってうまくいきません。確率積分ではStielthes積分とは異なり、被積分関数\(f(B_{s_k})\)について\(s_k\)をどこにとるのかを決めなければいけません。ここでは、左側の点をとったものを確率積分として採用します:
実際はもっと広いclassのもとで定義できますが、ここでは割愛します。簡単な例を計算してみましょう。$$\int_0^t B_s\, dB_s$$を求めてみます。\(\sum_{n = 1 }^\infty < \infty\)なる分割の列\(\Delta_n = \{ 0 \leq t_1^{(n)} < t_2^{(n)} < \cdots \},\ n = 1,2,\dots \)を任意にとります。恒等式$$B_{t_k^{(n)}}^2 - B_{t_{k-1}^{(n)}}^2 = 2 B_{t_{k-1}^{(n)}} (B_{t_k^{(n)}} - B_{t_{k-1}^{(n)}}) + (B_{t_k^{(n)}} - B_{t_{k-1}^{(n)}})^2$$において\(k\)について和をとってから\(n \to \infty\)とすれば、定理3により、$$B_t^2 - B_0^2 = \lim_{n \to \infty}\sum_{t_k^{(n)} \in \Delta_n}B_{t_{k-1}^{(n)}} (B_{t_k^{(n)}} - B_{t_{k-1}^{(n)}}) + t$$ゆえに$$\int_0^t B_s\, dB_s = \frac{1}{2} B_t^2 - \frac{1}{2} t$$と求まります。\(t\)についての項が加わっているという点で、通常のStieltjes積分とは異なっています。
伊藤の公式
上の例で、確率積分では通常のStieltjes積分とは異なる計算結果が得られることを見ました。このことは、直感的には次のように理解されます:
\(f\)をなめらかな関数とし、\(f(B_t)\)の微小変化をTaylor展開によって$$df(B_t) = f^\prime (B_t) dB_t + \frac{1}{2} f^{\prime \prime} (B_t) (dB_t)^2 + \frac{1}{6} f^{\prime \prime \prime} (B_t) (dB_t)^3 + \cdots$$と近似することを考えます。ここで、\( (dB_t)^2 = dt\)として、\(dt\)より小さい微小項を無視すれば、\(df(B_t) = f^\prime (B_t) dB_t + \frac{1}{2} f^{\prime \prime} (B_t) dt \)となります。これを積分で書き、\(f(x) = x^2\)とすれば上の例の計算結果が直ちに出ます。2次変分を用いて直接計算できたのは、Taylor展開(計算に用いた恒等式に他なりません)がそもそも2次までしかないからです。
これを定理の形で述べたものが、伊藤の公式と呼ばれるものです:
\(\alpha > 0, \beta > 0\)とし、\(X_t = \alpha B_t + (\beta - \alpha^2/2)t\)とおきます。\(f(x) = e^x\)について伊藤の公式を適用すれば、$$\begin{align} \exp (X_t) - \exp(X_0) &= \int_0^t \alpha \exp (X_s)\, dB_s + \int_0^t \exp (X_s) (\beta - \alpha^2/2)\, ds + \frac{1}{2} \alpha^2 \exp (X_s)\, ds \\ &= \int_0^t \alpha \exp (X_s)\, dB_s + \int_0^t \beta \exp (X_s)\, ds . \end{align}$$\(S_t := \exp (X_t)\)とおき、微分形に書き直せば、$$\frac{dS_t}{S_t} = \alpha dB_t + \beta dt$$という表示を得ます。\(S_t\)は幾何Brown運動(geometric Brownian motion)といわれるものです。\(S_t\)を株価とみれば、左辺は微小時間での株価の伸び率を意味し、上の方程式は株価の伸び率にランダムな変動が加わっていると解釈できます。これはBlack-Scholesモデルと呼ばれ、確率微分方程式(stochastic differential equation)の一種です。多数の要因によって影響を受けることが不規則な運動をもたらすというBrown運動の発送は株価変動と相性がよく、金融工学において伊藤の公式は基本的な道具となっています。
参考文献
[1] 舟木直久(1997), "確率微分方程式", 岩波書店
[2] 西尾真喜子(1978), "確率論", 実教出版
[3] Henry P. McKean Jr.(1969), "Stochastic Integrals", Academic Press
[4] 河野敬雄(1995), "Brown運動とその周辺", http://www.math.kobe-u.ac.jp/publications/rlm01.pdf